この先は、私の推測と考察であるため、事実とは異なるかもしれないことを予めお断りしておきます。
さて、前回までのように事実を検証してみたところ、私の中には微妙な疑問が生じました。頭蓋底部を骨折するためには、頭部を車内に激突するような状況が考えやすいわけです。しかし、シートベルトがきちんと締められていたならば、それはまずあり得ないことです。
一方で、身体のその他の部分の怪我の状況は、シートベルトに胴体を束縛され、かかとを床につけて足を突っ張り、衝撃を受けとめた状況を物語っています。
いったいどのようにして、アーンハートの頭蓋底部骨折は生じたのでしょうか?
そんな疑問を抱いているところに、新たな事実が浮かび上がってきました。それは、シートベルトが壊れていたという話です。なるほど、シートベルトに問題があったために頭部を車内に激突したとすれば、死因に納得がいくような気がします。
シートベルトが緩んでいたのか?
それと前後するようにして、「シートベルトが緩んでいたようだ」という噂も伝わっています。レース中にアーンハート自身がシートベルトを緩めていたのでは?というのです。これはおそらく、シートベルトがしっかり締まっていたら死ぬはずがないという思いから発生した流言だと思います。
前回も書いたように、激しいクラッシュの際には、普通には伸展しないはずのシートベルトも伸びることがあります。事故後のマシンのシートベルトを見た人が、それを「緩んでいる」と思ったのかもしれません。一般に、ドライバーがレース半ばでベルトを緩めるというのは考えがたいような気がします。その後の関係者のコメントでも、自分で緩めるというのはあり得ないだろうという結論になっているようです。
シートベルトが切れた?
事故後数日で発表された記事には、「左側のシートベルトが衝突時に切れた」とだけあり、どの部分がどのように切れたのかについて詳しい説明はありませんでした。そのために、頭部をステアリングか車内に激突したのであろうという推測が述べられているだけです。シートベルトはマシンの新造に伴って昨年の秋に設置されたものであり、装着感の向上のために、何らかの手を加えていたという説もあります。この辺については、後日だんだんと明らかになることもあるでしょう。
シートベルトはいつ切れたのか?
怪我の状況を見てみると、負傷箇所は左側に集中していて、衝突の瞬間、身体の左側に負荷がかかっていたことがわかります。さらに、左のかかとが骨折しているのは、衝突の瞬間に足を床に踏ん張って衝撃に耐えた証拠であり、この時点では、アーンハートの身体はシート内に固定されていたはずです。そうでなければ、衝突の瞬間に足を突っ張って、かかとで体重を支えることはできないからです。また、衝突の瞬間に多数の肋骨を骨折し、それ以外の部分の骨折がみられないことも、その時点で、彼の身体がきちんとシートベルトに拘束され、シートベルトが衝撃を受けとめていたことを物語ります。
そうするとシートベルトが切れたのは、衝突の瞬間より前ではありません。おそらく衝突の瞬間、彼の身体が左前方に激しく投げ出されようとしたとき、最も力の掛かった場所、左側のベルトが切れたのだと思います。それが、彼らが施していたという何らかの細工によるものなのか、ベルト自体の強度を越えたためなのかはわかりません。
シートベルトが切れなければ助かったのか?
シートベルトに問題があったために、頭部を激突してしまい、悲惨な結果に終わったと結論づけたいのはやまやまです。だとすれば、シートベルトの材質を吟味すれば、同じような事故は二度とないだろうと思えるからです。多くの人がそれで納得してしまっているようです。
少なくとも今回の事故に関しては、シートベルトに問題がなければ「生き延びた可能性が高い」ということは言えるかもしれません。しかし、絶対に助かったか?といわれると疑問なのです。つまり、たとえシートベルトが無事であって、頭部を激突しなくても、衝突の勢いに耐えかねて頭蓋底部骨折が生じたのではないか、ということです。
なぜならば、近年NASCARでは、同じような頭蓋底部骨折で亡くなっているドライバーが3人もいます。そのいずれもが、シートベルトの故障で頭部を激突したわけではありません。これまでは、頭を強く振られすぎないように、首を保護する装具を使うことで、その事故が防げると考えられてきました。ところが今回の事故の後、NASCARの専門医療スタッフは、「おそらくそれだけでは頭蓋底部骨折を防ぐことはできないだろう」とのコメントを発しています。詳しい真相と解決策が明らかにされるには、今しばらくの検討と研究を待たなければならないようです。
また、忘れてならないことは、これだけのクラッシュにあっても、腕や脚の骨1本、首の骨ひとつ折れなかった、アーンハートの肉体の鍛錬のすさまじさです。しかし、それだけに鍛え上げた戦士でさえも、この怪我には打ち勝つことができなかったという事実が、我々を容赦なく打ちのめしてくれます。そのことについて、我々はよくよく考えてみなければならないと思うのです。
2001.03.14